阪神・淡路大震災があったとき私は大学卒業間近でした。
朝起きて寝ぼけ眼でTVをつけると、空襲をうけたような焼け野原の映像が目に飛び込んできました。
「”また”外国で戦争が始まったのかぁ…」 と、
どこか他人事のようにTVを眺めていました。
すると、TVからは「大阪・神戸の周辺で早朝に大地震がおきて大変なことになっている」 という報道だった。
「え………これ、日本なの…?」 と、やはりどこか現実のものと感じられなく画面を黙ってみていた。
この震災で6千人以上の人が亡くなった。
大勢の人たちがTVカメラの前で泣き叫んでいた。
都市・住宅地・市街地の大震災は大規模な火事になりやすいことが分かった。
マスコミのヘリコプターが大量に飛び交うことで騒音となり、生き埋めになった人たちの助けを求める声が聞こえず、救助の妨げになるなどの問題も分かった。
巨大な高速道路が根元から横倒しになり、
地震の影響で地面がずれて当時建設途中だった明石海峡大橋が神戸側・淡路島側ともに少し離れてしまったと聞き、地震のエネルギーの大きさを実感した。
淡路島に実家がある友人の家の風呂場には大きな亀裂が入ったと聞いた。
神戸に住む別の友人はその時コンビニでバイト中で生きた心地がしなかったと言っていた。「商品棚が全部倒れたよ。あれだけ散らかると片付ける気も起きないな。」と後日 笑いながら話していた。 コンビニ店内の中央だけ崩れた商品をどかし、そこに他のバイトたちと集まって夜が明けるのを待ち、歩いて近所にある家に帰ったそうだ。 帰宅後、震災の影響の大変さを知ったそうだ。
その年の夏休み、学生時代から一人旅好きだった私は、
関東の友人たちから巻き上げた”募金”を持って、
野宿の道具(寝袋・テント等)を持って自転車にのり
兵庫県・神戸市役所に向って旅にでた。
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