防災の日に思ったこと。 『東日本大震災でのボランティア活動』 - 松戸市 常盤平の整骨院

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防災の日に思ったこと。 『東日本大震災でのボランティア活動』

昨日2013年9月1日(日)は防災の日でした。
今日9月2日(月)、朝の連ドラ「あまちゃん」は、いよいよ東日本大震災が描かれようとしています。
震災から2年半が経ち、少しづつ記憶が薄れつつあるように思います。一方で、家族を失ったり、怖い思いをしたことや、いまだ見えぬ将来に 苦しむ方たちが 今もいらっしゃいます。
また、震災以降も 大雨や竜巻などで被災した場所が全国にあります。

下記の文は、
千葉県接骨師会の機関紙 『友愛ちば 2012年1月号』(特集 東日本大震災救護活動 等)
にて掲載された、私の投稿記事です。
当時(2011.10月頃)に接骨師会から 「そうか、行ってきたのか。ちょっと書いてくれ。」 と指示されて書いたものです。

いま読み返すと、アノ時に経験したことを表現するには 随分と言葉が足らないなぁ、と感じます。
それでも、震災から7か月ちょっと経った当時の私が、経験し感じたことなので、文章はそのままに転載します。写真は少し足しました。
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機関紙の記事なので接骨師会関係者にしか配布されていませんが、大切なことを内輪で話して”満足”してるのもどうなのだろうと疑問に思いました。
「いつでも行動できる」 ように、時々 思い出しても良いのではないか、と自戒しています。

    2013年9月2日

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東日本大震災でのボランティア活動

松戸支部 伊藤 康裕

 2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とする、M9.0、震度7の国内史上最大となる東日本大震災が発生しました。
死者・行方不明者が2万人を超える未曾有の大災害です。また、地震と津波により福島第1原発事故が発生し、多くの避難者が発生しました。

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私の在住する千葉県松戸市にも福島県から大勢の避難者が来ました。その人数は延べ400人を超えます。

 松戸市は全国でもいち早く福島県からの避難者受け入れを開始しました。 そして、多くの松戸市民が炊事から職業を活かしたことなど色々な形でボランティアに参加しました。
私も接骨院の技術をつかってボランティアに参加しました。

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 福島から避難されてきた方々に施術をしながら、皆さんの身に起きたことと その心情に触れました。 それはTVからは伝わらない驚愕するものでした。

 家族と連絡が取れたのは5日目の避難バスの中だった、
避難所を転々としていて松戸市で4か所目になる、
再会する母親が寒い思いをしては可哀想だと、ご自身も避難者でありながら布団を抱えて避難してきたなど、
松戸市に辿り着いた時には既に彼らはヘトヘトだったのです。 
「もう、福島の家には帰れないと思う…。」と 呟く人もいました。 
被災地は私の想像をはるかに超える状況なのだと痛感しました。

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 被災地では私の知らないことが起きている。 
私は県外避難者の皆さんのお話を聴き、とにかく被災地に行ってみようと決めました。
「何も出来なければ帰ってくればいいではないか」 という思いで、携行缶に予備のガソリンを入れ、シャベル、長靴、手袋、マスク、着替え、寝袋を車に積み、私は 宮城県仙台平野・石巻・女川へ と夜通し車を走らせました。 宮城県には友人が何人も住んでいるので、彼らに会うことも含めて、5月3~5日まで滞在しました。宿泊は友人の家にお世話になりました。

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 被災地は、土埃と臭いが漂い、地震で地面が割れ、
津波に破壊された街は、まるで爆撃の跡の様です。
車がチリ紙のようにクシャクシャになり、ビルの上に乗っかったままの車もあります。
360度見渡す限り瓦礫の山、 ビルが根元から横倒しになり、
海など見えないような所まで津波で家屋が破壊され、
こんな高台まで と思う所まで 津波に襲われています。これでは逃げようがないと感じます。
鉄をあんなにも引きちぎる津波に人間が呑みこまれたらひとたまりもありません。
目の前にある惨状が理解できず茫然としていました。

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 自然災害とは言え、こんな理不尽な“暴力”があっていいのか、
彼らが何か悪いことをしたのか、
もし 津波に顔があるならぶん殴ってやりたい地震に体があるなら思いっきり蹴飛ばしてやりたい という 悔しさと 怒りが 湧いてきて、涙が出てきました。

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 そんな中、私は石巻で 被災した一般家庭の家の 片付けをお手伝いさせて頂き、泥運びのボランティアをしてきました。
物凄い悪臭が漂うなか、津波によって大量に水を含んだ家具や 泥を運び出すのは 非常に体力を必要とします。 被災者はその作業を毎日続けているのです。
皆でタンスや戸棚を運んでは壊し、 家の人に中身を確認して貰い、 「いる物」 「いらない物」に分け、 間違いのないように いらない物だけを一輪車に積み、 廃棄場所へと運びます。
家の中にたまった泥は、役割分担して、スコップで掻き出し、土嚢袋に詰め、一輪車にのせて運びます。
廃棄場所では 運んだものが横に広がって 道路を塞ぐことがないように 積み上げていきます。いかに崩れないように、効率的にたくさん運べるか を考えます。
泥を運びだしたら、室内を洗い流すため、川から水をバケツリレーです。
せっせ、せっせとマスクをしたまま、汗だくになりながら 作業します。 すると、汗をかきながら 一生懸命に作業しているうちに、瓦礫の中を 歩いた時に感じていた 「悲しい気持ち」 が薄れていきます。暑い、重い、でも ドンドン片付いていく のが楽しい。自分の行動が実になっていく 「達成感」 のようなものが、心の中に芽生えていきます。

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 気がつくと、汗をかきながら笑顔になっている自分に驚きます。
メチャクチャに破壊された街を見て悲しみに支配されていた私の心は、汗まみれで必死になって泥を運んでいるうちにスッキリしてきました。 被災者の方のために行ったボランティアでしたが、救われたのは私の心だったのです。
人はどんな状況でも必死に行動することで、必ず前進できるのです。

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 「地元に帰ったら、ボランティアをして来たって自慢出来るけど、仕事には何にも役に立たないな」 オニギリを食べながら皆で休憩していた時、 ある一人の若者が 笑顔で言いました。 悲惨な状況なのに、みんな笑顔です。

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 9か月たった今も被災地で頑張っているボランティアの皆さんがいます。 今日も避難者・被災地の皆さんは頑張っています。 苦しみ、悲しみの中、汗水たらして、人のため、自分のために 頑張れる人たち がいます。 この苦難は絶対に未来を明るくするに違いない。

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 地震と津波により亡くなられた多くの方々に心からお悔やみ申し上げますと共に、 被災された皆様に 心からお見舞い申し上げます。 また、被災地域の一日も早い復興を お祈りしております。

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【参考資料】
松戸市ホームページ
朝日新聞

flair。。。。。。

公益社団法人 千葉県接骨師会
機関紙 『友愛ちば 2012年1月号』 (平成24年1月10日)
▽特集> 東日本大震災救護活動。
▽ニュース> 講演会・少年柔道大会  ▽シリーズ> 施術所訪問
▽論文> 学術研究発表・報告  ▽報告> 支部活動報告
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